同居への経緯の続きです。(①はこちら)
育休明けの息子と母ちゃん
出勤の日は夫が朝の送り、私が夕方のお迎えを続けていました。
夫婦で休みが一緒でしたので、休日は親子3人で過ごすので、義両親との夕食会の頻度は減っていきました。
そのかわりに、私が迎えに行くと
これ食べて~
とおかずや畑でとれた野菜のおすそ分けしてもらったりしました。
また「買い物してから迎えに行かせてください!」と連絡を入れて私1人でスーパーへ寄ったりもできたので、保育園のようにお迎えの時間制限がなかったのも新米ワーキング母ちゃんにとって大助かりでした。
とは言え、帰宅後は大変でした。
夫の帰宅はだいたいいつも21時頃でしたので食事(食べる・食べさせる)・お風呂・寝かしつけを私ひとりでしていました。
すぐにテレビをつけて息子に待っててもらって夕飯作り。
食べ終わって片づけ・お風呂の用意までまたテレビ。
これでいいのかな?でもこれしか方法ないし…
世の中の働くママもみんなきっと一緒だろう…
と妥協してEテレやDVDにお世話になる日々でした。
第二子妊娠
職場復帰から4ヶ月経ち、少しずつ生活に慣れ始めた頃に妊娠が発覚しました。
正直、
え、早っ!
ってなりました。
まだ、復帰したばかりなのにもう妊娠。うれしかったのですが、驚きが大きかったです。
上司への報告は憂鬱でしたが、幸い理解ある方だったので会社への報告もスムーズでした。
両家の親にも報告、喜んでもらえました。
またもや、つわりとの戦い。
しかも今度は息子がいるのでひとりでうずくまっている場合ではないので怒涛の1ヶ月半を過ごしました。
その間も特に実家・義実家に特段お世話になる事はありませんでした。
休日には夫が息子と2人で出掛けてくれれていたので何とか生き延びました。
つわり明け、突然同居が決まる
つわりスタートから約1ヶ月半たった頃、アパートにある案内が届きました。
「班長任命」のご案内でした。
住んでいたアパートには10世帯分の部屋があり、アパート1棟で1班として自治会に属していました。そして1年交代で班長がまわってきます。
退去が数件あったせいで、まだ先だと思っていた班長の役が早めにきてしまったのです。
我が家は夫婦で平日定休。地域の催し(避難訓練や地域清掃など)は全て土日、平日の夜に会合があっても夫は毎日残業で私はまだ1歳の息子がいてそれどころではない。
う~ん…困ったぞ…
となってしまいました。
しかし、忙しい毎日の中、問題を先延ばしにしてしまい気づけば交代まであと1ヶ月。
よし!とりあえず実家の離れに引っ越そう!
…いたしかたなし……
夫の実家には離れと呼ぶ今は物置となっている亡くなったおばあちゃんが住んでいた小さな平屋がありました。そこを住めるようにしてとりあえずの仮住まいにしようと考えたのです。
即日夫が義両親に相談しに行くも、耐震性や設備の面で却下。
逆に母屋で一緒にに暮らすことを提案されて帰ってきました。
正直、悩みました。
キッチン・風呂・洗面は1ヶ所ずつの単世帯仕様の建物で、築30年でもきれいで立派な家でしたが、もう目標とする退去日が迫っておりリフォームをする猶予もありませんでした。
なにより、一度入ってしまえば余程のことがない限り、出るという選択肢がないと思いました。
夫は古くから続く家の長男です。いずれはその土地を継ぐために戻らなければならないと、私も分かっていました。
私も父が長男で二世帯の家で育ちました。
メリットとデメリットはだいたい想像できました。
しかし、もう決断しなければならず
もう、引っ越すか!
こうなれば勢いです。悩んでいても始まらないし結果はわかりません。
かくして、いちかげ家の実家へのお引越しが決定したのでした。
①②と長々お話ししましたが、きっかけなんてこんなもんでした。